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波風立てずに穏便に。

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上記タイトル、「波風立てずに穏便に。」

自分は結構そういったことが苦手でした。

実はとても不得手で、にもかかわらず、そのように振舞うことは私も実はできるタイプなので、内面では、人間関係苦手、人間不信にまで追い込まれたりすることもあります。

「なんで? ど~して?」「これ、おかしいよ、おかしい!」

子供時代の口癖でしたので、たまに教師の皆さんからは苦笑されることがありましたけど、小学校時代、根気よく、そんな質問に付き合ってくれる先生もありました。

実は今でも、その先生のことはとても尊敬していますし、忘れることはないし、感謝しています。

もうお会いできることはないかもしれません。お元気で老後を過ごされていることを願ってやみません。

あとは、とどめをさされたのは、高校卒業の時。

「何でも過信は禁物だぞ」 無口な定年間近の先生が、おっしゃった言葉です。

「勝って兜の尾を締める」 そういうことわざがありますよね。

これからさき、順境な時が訪れることがあるかもしれない。そういう時こそ、逆境の時苦しんだ以上に、自分自身を自戒して、フィードバックして、自分自身の非を発見したらそれを認めて、かつ自分自身を肯定して、慎重に物事を運ぶべきだということだと私は解釈しています。

定年間近だった先生は、もうひょっとしてこの世の人ではないかもしれません。

私の過ごした学校時代は、まさに「昭和」でしたが、今の時代とは一味違った、一本筋の通った先生がいらっしゃったのだなと思います。

「聖職の碑」

これは、故鶴田浩二さんという俳優が出演された戦前の時代の小学校を舞台とした映画でしたが、私は、自分の職務に殉ずる昔の教師の美徳を訴えていると思う反面、「教師も人間なのに」と思ったりもしました。

鶴田浩二扮する校長は、生徒を凍死させないために、自分自身の着衣のすべてをその子に着せて、自らはたった一枚の上着だけで雪山の中で凍死体で発見されるというラストシーンは、まだ義務教育中の私にはショックでした。

清貧に甘んじて、子どもたちととことん付き合い、私生活も職業上様々な制約があった当時の教師。

実をいうと、生徒の親たちである農家のオバサンとかが、「先生の栄養のために」と、野菜を届けたりコメを譲ったりしていたのが現実ですし(現在では公務員である教師にそういったことはできませんが)。

私にはとてもじゃないけどなれないよなぁ~と思い、(チャラチャラと遊びほうけたい時期があったので)、やはり、昔の人間は私たち現代人にはとてもかなわない、と、痛感するのです。

話はやや横道にそれました。

「自由とは」「権利とは」

そのことについて考えたとき、戻ってくるのは先ほどの言葉。

「過信は禁物」すなわち、「勝って兜の尾を締める」です。

教育勅語の時代の教師たち、彼らは、「教える内容」においても、現代よりはるかに制約がある中で、本心では様々な思いを巡らしつつも、今ある自分の職務に忠実であったし、願っていたことは、ひとりひとりの生徒たちが飛び立っていき、ちゃんと一人前の人間として人生を歩んでいくことだったのだろうと私は思います。


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