随想コラム:「目を光らせて」 NO.259 「朝日歌壇・朝日俳壇から」 対象日: 2013. 5.13~5.20
深海の魚もつまどひする春のぬばたまの*
アオウ ヒコ
*題目:朝日歌壇(5月20日)鳥山みなみ さん(東京都)の入選作から。
「朝日歌壇・朝日俳壇から」:朝日新聞所載の短歌、俳句の入選作から up-to-date な作品を選び、筆者がコメントを付しています。コメントは文芸上の範を越えることがあり、また、文中敬称は略しています。(筆者)
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朝日歌壇 5月13日(2013)
列島のま中のくぼみ原発の集中地帯仏像あまた
(小浜市)四方幸子
日本列島のほぼ中央に位置する福井県は日本海や若狭湾に面し、大きなくびれの海岸線を擁している。京都に近いことから、昔は鮮魚を都の京都にいち早く運ぶ「鯖街道」の名で知られた。
今は原発が沿海沿いに数多く立地している。関電の高浜、大飯、美浜、敦賀の原発である。
福島の原発事故以来、原発の近くに住む福井の住民はいつなんどき、あのような事故に遭い放射能から逃げまどう羽目に陥るのかと、重苦しい日常を過すようになった。 またこの地は京の都に近く、文化も豊かに根付き、社寺には数多い仏像があることで知られる。
仏像は何も言わないが、ここの住民には原発事故で逃げ惑う自らの表情を湛えている姿に重なるように思えるのだろう。
満ちてゆく十月十日のその先にゼロから始まる未来が光る
(草津市)山添聖子
いのちの誕生。十月十日の仮寓を経て、この世に新しいいのちが出来(しゅったい)する。ポンと蹴りだした母性はそのいのちに幸あれと祈り、そのいのちにゼロから始まる豊かな未来が宿っていることを信じて疑わない。
生まれたばかりの嬰児にどのような才能が宿っているのかはお腹を供した母親にも判らない。願わくば、そのいのちの未来が光輝くものであって欲しい。それは既定の事実として展開がなされるとの自信に満ちた、めっぽう力強い母親の後押しが始まっている。 このゼロからのいのちが大きく成長するまで、世界の環境を惡化させずに保持する責任が今の大人たちにはある。
山歩会
水底に翳滑らせて柳鮠群れてさ走る葦の辺の春
(西条市)亀井克礼
春の小川に群れて泳ぐ淡水魚、柳鮠のさまを爽やかにじっと見ている。さ行の音(S)が随所にちりばめられている(6か所)ことが、情景が流れるように遷りゆくのに力があり、清冽さを高めている。こうした優れた自然詠に、なかなかお目にかかれなくなったのは淋しい。
電源が切れていたからと言う理由行方不明の上手なあなた
(筑紫野市)岩石敏子
「どこにいらしていたの?」「電源が切れていてね」「お泊まりでしたね?」「電源が切れていてね」「あの方、お元気でしたの?」「電源が切れていてね」「眠そうですね」「電源が切れていてね」「そんなに張り切ってらしたの?」「電源が切れていてね」と暖簾に腕押し、糠に釘。
なんとも煮え切れぬ優柔不断な外交官もどきがいて、それをやんわりと御する一段上の才女がいる。
襁褓替ふ父をしばらく看護師に委ねて春の夕焼けを見る
(小見玉市)津嶋 修
寝たきりになると、みずからの力では厠へは行けない。口から食物を摂れば、下り下って残渣が残る。これを、みずから処理できないとなると、他の人の手を借らざるを得ない。しものせわ。これは親と子の間柄と言えども、スカベンジャーの極。ひとに負わされた業の一つである。
今日は看護師が来てくれている。お願いした。ほっと一息つける。外に出て外気を吸い空を見上げる。春の夕焼けが美しい。あれさえなければなあ。
こしき島六代目百合薄めずにロックで飲めばこれが芋なのか
(奈良市)田村英一
甑島(こしき島)鹿児島県串木野市の西方海上に浮かぶ列島。ここで焼酎を醸し続けて六代目が創る焼酎がある。「百合」と言うのか「六代目百合」と呼ぶのか。飲ませて貰った。お湯割りにせず、タンブラーでロックで飲んだ。
芳醇な香りが立つ。「おい、おい、これは旨いぞ」焼酎の極だ。これまでに芋焼酎は数々飲んだが、これほどの芋焼酎には遭遇せずだ。旨い!これが芋だ、芋だよ。芋焼酎の極に出会えたぞ!と嘆声を上げた。吠えるまでに。
蒲焼きの煙で飯を食えとばかり団扇であおぐアベノミクスは
(青梅市)津田洋行
「私がいるので株価が上がっているのですよ!」ついこの前まで自慢げに公言していた彼が、外人投資家の一斉売りで株式大暴落。売り手は日本の富をかっさらって行った。
感想を求められた彼。「私が何か言うと株が下がりますから言いません」。言わなかったが、また株が下がった。
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朝日歌壇 5月20日(2013)
つづまりは孤独とう名の箱でありアパート三階十五号室
(福島市)美原凍子
東北大震災で夫君を亡くして一人になったひと。溢れる感性であれからの福島の数々を切り取り、歌に詠み続けてきた。その活躍には彼女を襲った不幸をものともせずに生きる姿があり、読み手はその旺盛な歌詠みを見てほっと安堵する気持ちになったものだ。
だが、この歌はどうだ。あの日からの自分の活躍を通して、あの悲しみを乗り越えられるとした壮たる気持ちが急激に凋み、萎えてしまいつつある。
つづまれば、という言葉、そしてアパートの一室にコンファインされてしまった自分の孤独をぼんやりと見つめるまでになる。
いけないなあ。歌作は暫らくやめて、よく眠り、美味しいものを食べ、静かな音楽の旋律に身を委ねて休養し、元気を取り戻そう。多くの人が蔭ながらあなたを応援している。まだまだ、つづまりなどと弱気を出すには早すぎる。これは壮たる女人を鼓舞する心からのエールです。
廃仏の革命に遭ひ世を忍び秘仏となりて社におわす
(熊本市)高添美津雄
短い時間で、西洋の文明、文化に追いつけ追い越せを追及した明治維新と呼ばれる時代革新運動。比較的才能に恵まれた明治天皇が、当時の錚々たる幕僚を配下に、維新に連なる建議を次々に裁断して動きだす。日本帝国はまもなく世界の先進国の一つにキャッチアップしてゆく。
だが、その聖断の中に、後世にひどい傷を残した裁断がいくつかある。その一が慶応4年(1868)に出された神仏分離令。これををきっかけに仏教排撃運動が日本中を席捲する。神道を天皇家唯一の神(神道国教)としたことで、従来の神仏習合が否定され、仏教にかかわるもの(物、人)が否定された。
廃仏毀釈(はいぶつ・きしゃく)と呼ばれ、各地で寺院、仏像の破壊や僧侶の還俗強制がなされた。神道国教は天皇制への絶対服従と結びつき、軍国主義の伸長に力を及ぼした。だが、日本中から仏様を一掃することはなかった。隠れ仏教として残り続けた。 この歌はその忍び秘仏を詠っている。
紅色の喉鮮やかに玄鳥(ツバクラメ)愉快そうに飛ぶプリズンの空を
(アメリカ)郷 隼人
つばくらめがでるとなれば、歌を詠む人は誰しも斎藤茂吉が母の死に当たって詠んだ歌を思い浮かべる。「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて垂乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」がそれである。
なんと素晴らしき絶唱かなと日本人は誰しもがこの歌を大切にし、以来、玄鳥(つばくらめ)が歌に出てくるとき、茂吉の歌のつばくらめと同じ感慨をしらずしらずのうちに味合う幸せを期待している。
米国の牢に繋がれたまま、この詠み手は放免を願う老母の期待に応えられず、老母は死に、あれから何年かが経つ。歌詠みのはしくれならば、ツバクラメを知らないはずはなかろうに。プリズンの空を紅色の喉を鮮やかに見せて飛ぶというだけだ。しかも愉快そうに飛ぶというからこれはもう。
楤木(たら)の芽も独活(うど)の若芽も深霜に萎えしを採れば霜の匂ひす
(伊那市)小林勝幸
若芽を出したころ運悪く深霜に遭ったタラやウド。萎えた葉を採って嗅いでみた。意外に香る。寒気に遭遇して萎えるまでの間に、水分が飛んで香りが凝縮されている。深霜のあればこその香りだ。霜の匂ひだ。
*深海の魚もつまどひする春のぬばたまの夜を書に耽る汝
(東京都)鳥山みなみ
あ、これは困ったことだな。若いお二人だもの。すべからく、ぬばたまの饗宴が繁々と持たれ、震度3あたりで鳴り響いても一向におかしくないのだが。
みなみさんとは反対の極にあるのはきたさんか。さぞかし北風の冷たさを持つお人であろうか。困ったものだねえ。 ここは太陽政策以外にないのであろう。南の太陽が暖気を供給し続ければ、北君はマントを脱ぎ、ついで書物を放り投げ、となるだろう。
ぬばたまだけでなく日中でもよろし。嘆くだけではなにも始まらない。馬体に拍車を噛ませよ。ハイセイコーの勝利を祈る。
朝日俳壇 5月13日(2013)
風呂敷のマントの子らよ春の風 (草加市)菊池のはら
今の子たちも風呂敷を背にしょって遊んでいるのか。懐かしい。
春眠に羊数ふる間でもなく (倉吉市)尾崎槇雄
もう、眠くて眠くて、ばたんのきゅうです。羊? いりません。
夏蝶となりて高さの定まりし (大牟田市)伊藤かもめ
春の間は蝶はおずおずと低く飛んでいたが、いまは初夏。高い蝶の道をスピードを上げて夏蝶が飛翔している。
若葉冷構え小さき老舗かな (奈良市)田村英一
奈良を歩く。木々には若葉の緑がいっぱいに萌えているが、気温は低い。そこに、一軒の小さな老舗が店を開けているのに出合う。しっとりと落ち着いた情景が伝わる。
けし
大桜朝日を浴ぶる人入るる (熊谷市)内野 修
大樹の桜がいまや満開。朝日を浴びながら桜大樹の爛漫を見ようと人が寄り集まて来る。さあさ皆さん私の花枝の下に入って下さいな、と桜は枝を広げる。
砂嵐一陣送る測量士 (仙台市)柿坂伸子
三脚を立てて、測量機のレンズを覗いていた。折から砂嵐がこの場をを襲い、何も見えぬようになる。測量士はその砂塵をやりすごすために一度、背を向けた。
猫の子のお腹さはるなさはりたし(枚方市)秋岡 実
猫の仔が好きな子供。おとなから「お腹触っちゃだめよ」といわれた。そういわれると、余計のこと触りたくなる。
用一つ足して白寿の日永かな (塩尻市)古厩林生
さあ、これで一つ用足しが済みました。白寿の私の一日が始まるのです。こまごまと。でも大きいのを一つ早々と済ませているだけに気は楽ですよ。
「おばあちゃん、はばかりの戸が少し開いていますよ」
擂粉木の木の粉も少し木の芽和 (岡山市)大本武千代
木の芽(山椒新芽)を山椒の木の擂粉木を使って擂鉢で擂る。緑のペーストができる。これを料理に混ぜて和えたのが「木の芽和え」。擂粉木が擂鉢で削られた分、少しは混じっているのでしょうか。
春愁が音立てて皿洗いだす (山形県白鷹町)新野祐子
あ、これこそはようやくに春愁を脱した音。水撥ねの音。よかったなあ。
朝日俳壇 5月20日(2013)
香をまとひつつ藤棚を出でにけり (大阪市)山田 天
大きい藤棚、長く垂れた藤房を楽しみながら外に。しばらくは私の身に淡い藤の花の香がまとわりついていました。
ぽんと肩たたかれて春愁の消ゆ (名古屋市)中野ひろみ
一人ぼっちでいると春愁はいや増し、なかなかこれから脱することができない。「××さんお元気?」とポンと一つ肩を叩かれた拍子に、あの長かった春愁が消えさる。これ不思議です。
春泥にまみれ殿(しんがり)なりしかな (高松市)白根純子
まあ、田植え競争みたいなものがあったわけ。一等賞をねらった。でも春泥と遊び過ぎ、丁寧にやりすぎたのも悪い。ビリのドンケツ、しんがりでした。
橋上に人は残して花筏 (東京都)荒井 整
さくら曼荼羅に時期が終わって花びらが散り、川面にうかぶ花筏の時期になる。川に架かる橋の上にはまだ人が見えるが、もう花筏とは関係ござらぬという関係になっている。
田の神の笑ふが如く田水引く (白岡市)高井元一
田に水が引かれ張られる時は人も田の神も喜色満面、躍動する。
花筏暗渠を前に躊躇(ためら)はず (川崎市)沼田廣美
花筏たちは歓びを残して川面に浮かび流れ下る。川の水が暗渠にさしかかる。花筏は娑婆での晴れ姿をもっと見せたいのか? いやいや、すうーと姿を消していく。
遠桜死にゆく人の爪を切る (高崎市)宮下富子
ことしも桜が最北の地でようやく咲いたとの報せ。私は関東で余命いくばくもない人の爪を切っている。来年の桜の頃はどうなっているだろう。
(2013.6.1)